名古屋駅のいろんなお話

名古屋駅のいろんなお話

東京出張

名古屋から東京に出張する会社員の方は多いだろう。私もしばしば東京に出張するのだが、仕事にもよるが週に1回くらいのペースで出張する場合もある。新幹線は値段を除けば非常に合理的な乗り物で、その運行頻度や居住性などある意味究極に合理的だ。乗っている方も平日は私も含め会社員などの仕事で乗る方が多く、その合理性にマッチした乗客となる。言い方をを変えれば運行する側も乗る側も合理的すぎて、非常に味気のない乗り物なのだが、他に名古屋東京間の移動については、他に選択肢を考えられないくらい合理的なのである。

 平日でも中にはディズニー等に遊びに行く方や子供連れで帰省等する方も見かけるので、ある意味ほっとするのだが、その合理性に反した動き(騒がしい等)をして世の会社員方に疎ましく思われることも多い。

 

 ある時、まだ喫煙車両が多かった時代、出張で喫煙車両に乗った私はある老婦人と隣あわせた。老婦人ははじめから座っていたので、大阪か京都から乗って来ていたと思われた。隣り合わせたと言っても、老婦人はA列で私はC列だったが、老婦人に気を使い私は何となく喫煙を控えていた。すると空席のB列の席を超えて老婦人が私に話しかけてきた。

「吸ってもいいですかね?」

乗っている車両が喫煙車なので、私はもちろん、どうぞと応えた。

タバコを吸いはじめながらおもむろに老婦人が私に話をしてきた。

「私はもう60年吸ってるんだけど、どこも悪いところもなくピンピンしてるんです。」

「そうですか」

「でも私の孫がね、タバコなんて全然吸わないのにね、まだ三十にもなってないのに肺がんで亡くなったんですよ」

私は返す言葉はなく聞いていた。

老婦人は

「分からないもんですねえ」

と言ってフーっと白い息を吐いた。

 

「だからね、私は毎月お祈りに行ってるんですよ。」

 

その一言から老婦人は恐らく東京から関西の方にある宗派の大本山に行った帰りなのだろうと推測できた。

 

「私が死ねば良いのにね、ほんとに分からないもんですねえ。」

 

私は会話を既に放棄していたが、いつのまにかタバコを取り出し

同じく白い息をフーと吐きながら、あいまいに一言だけ言った。

「そうですねえ」

タバコの旨みがいつもより深く感じられた。




日本で一番交通が便利で居住可能なエリアは何処?

YAHOOのビッグデータ解析レポートの、交通利便度調査によると、1時間で到達可能な場所が一番多いのは東京駅、次に名古屋駅という結果だったらしい。次に2時間では京都駅が一番で、次に名古屋駅で3位に東京駅だったとのこと。

 上位になるにはまずはやはり新幹線が通っていることが条件となる。また到達可能エリア(面積)が伸ばしやすい西日本エリアが有利ということらしい。つまりは、名古屋は2時間あれば関西圏のほとんどをカバー可能であり関東圏も東京から神奈川はほぼカバーされるということとなり、上位になるのは納得できる。もちろん東京駅が一番便利なのは当然といえば当然だが名古屋駅は日本で東京駅の次に便利な交通利便度の高い駅なのである。

 しかし、東京駅の周辺に居住することは現実的ではなく(住んでる人もそれなりにいると思うが)、片や名古屋駅のある中村区は駅から10分〜15分の範囲の新幹線側の駅西と呼ばれるエリアならいわゆる普通の一般的な家賃で居住できる。名古屋はどちらかというと東寄りの方が家賃が高いエリアとなっており、駅の西側は昔ながらの下町で家賃は安いエリアなのである。

 結論として、交通利便性の観点だけでいうと、日本で最もコストパフォーマンスに優れているエリアは中村区(駅西エリア)となる。これはあと10年後にリニアが開通した暁には東京駅を凌駕して、名実ともに日本で最も交通利便性が高いエリアとなることは間違いがないと思われる。

国内を移動する方で且つ何処ということもなく拠点探しをされている方は、是非名古屋駅の駅西に居を構えてみてはいかがでしょうか。

 

誰にも気づかれなかったイチロー

イチロー3000本安打


筆者は20数年前、名古屋駅近辺で働いていた。
そのため名古屋駅のコンコースを通ることも多く、
通勤や旅行者の人混みの中を歩いていた

すると
斜め前に白いショートパンツに白地のTシャツを
着てスポーツバッグを片手で担ぐ男性に気がついた
男性といっても雰囲気は高校生くらい
顔を見ても童顔で、部活帰りの高校生かと
一瞬思ったが、よく見ると顔に覚えがあり、
鈴木一朗とようやく気がついた。
イチローに改名したかしないかくらいだったと
思うが、人混みの中誰にも気づかれることなく
(というかまだ殆どの人が知らない)
スタスタと前を見て歩いていた。

おそらく自宅へ立ち寄ったタイミングだったと思うが
私は斜め後ろを歩いて彼から出ている僅かな
オーラを感じながらも、声をかけたりサインを求めることはなかった。

その当時、彼はそこまでの存在では無かった。
私だけが気づいてあげていた、ということが
私からの僅かばかりの彼に捧げる称賛だった。

彼はそんなことを気にも留めず、
目的地に向かって前を向いて歩いていった。

私は心の中で彼に対し、プロとなっても誰も気づかれないことに、
少しの悲哀を感じるとともに、前を見て歩く彼に
なんとなく彼のプロとしての矜持を感じていた。

その後ろ姿を斜めに見ながら、
私も自分の目的地(会社)へと歩いていった。

今思えばサインでも貰っておけば、と思うが
その時は貰わなかった。
それは、当時私の中にあった
青臭い僅かばかりの
矜持のせいだったのかもしれない。